オスマン帝国外伝大好きな管理人です、こんにちは!
オスマン帝国外伝を見ていると、ムスタファが治めるマニサ県が良く出てくるじゃないですか。
で、トルコの地図で「マニサってどこ?」と調べてみました。
他にも、オスマン帝国外伝のファンがトルコに旅行するときに、訪ねるべき場所は地域をピックアップしてみたので、海外旅行できるようになったらぜひお出かけしてみてください♪
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トルコのマニサ県は?その他オスマン帝国外伝主要都市を地図で紹介
マニサは上記地図の一番下のあたり。首都イスタンブールから南に行ったギリシャ湾沿岸の主要都市です。拡大地図にすると「イズミル」と出てきます。
イズミルは、シーズン3の序盤でムスタファが造船所を再開させた場所ですね。ハイレディンとよく密会していた場所でもあります。
再開させたゆえに、スレイマンから叱られていたけど…
古くからローマ帝国の主要都市として戦火に見舞われながらも栄えた、ギリシャ湾沿岸部の主要都市です。
イブラヒムとムスタファが密会してたブルサはどんな都市?
首都のイスタンブールとマニサの間にある、イスタンブール寄りの都市がブルサです。
ブルサは、シーズン3の中盤でイブラヒムとムスタファやマヒデブランが密会していた都市として、ドラマでも名前が出てきましたね。
ブルサは、ロシアを横断するシルクロードの西端の都市として古くから栄え、オスマン帝国外伝のドラマの200年ほど前までトルコの首都がおかれていた都市でもあります。
標高2400m級のウルダー山の麓に位置する、地中海を代表することの一つなんです。
ブルサから後に、エディルネに首都がうつり、オスマン帝国外伝の時代にはイスタンブールに首都が移ったんですね。
セリムが治めたコンヤはどんな都市?
オスマン帝国外伝シーズン3の終盤で、スレイマンとヒュッレムの間に生まれた2番目の王子のセリムが、コンヤという県を治めることになります。
コンヤはセリムの曽祖父のセリム1世やその子世代のバヤジト1世の時代から、トルコの主要都市として奪い奪われを繰り返してきた都市です。
現在街中にはセリム2世のゆかりの建物があり、首都アンカラまでの高速新幹線の開通計画があるなど、トルコで6番目の大型都市として発展をしています。
ムスタファが後に左遷させられるアマスヤはどんな都市?
オスマン帝国外伝シーズン3の終盤に、ムスタファがマニサ県からアマスヤ県に左遷を命じられます…。
>>オスマン帝国外伝シーズン3の54話~ラストまでのあらすじネタバレ
ムスタファの代わりにマニサを治めるのは、ヒュッレムの長子のメフメト。
兄弟の間に決定的な亀裂が入ることになります。
ムスタファが新任地として入ったアマスヤは、現在トルコのど真ん中当たりで、イスタンブールの真東に位置します。
アマスヤはバヤジト1世の頃から谷の要塞都市として重要視されており、代々のスルタンは子どもにアマスヤを統治させて、帝王教育としていました。
…ってことは、アマスヤに飛ばされたムスタファは、あそこまで落胆しなくてよかったのでは?!!
現代のアマスヤは人口もそれほど多くない小都市ですが、オスマン帝国時代の鉄道駅が残っているなど、歴史建造物を目当てに多くの観光客が訪れる観光都市として栄えています。
ヒュッレムの生まれた教会のあった町は?
ヒュッレムの生まれたとされる教会のあった年は、現ウクライナのロハティンと言われています。
>>ヒュッレムが生まれ育った教会のシーンがあるシーズン1のあらすじ
ロハティンには実際にヒュッレム(ロクサーヌ)の銅像も建てられています。
第二次世界大戦下ではロハティンはポーランドの支配下となり、住人の大半を占めていた多くのユダヤ人はホロコーストの犠牲となりました。
ヒュッレムが追放されたエディルネはどこ?
シーズン3の中盤から終盤にかけて、シャーとの争いにいったんは負けて、ヒュッレムはエディルネの宮殿に追放されます。
エディルネは皇族が別荘のように度々訪れる宮殿があり、シーズン2にも何度か出てきましたよね。
現在エディルネはギリシャやブルガリアとの国境付近にあり、国境主要都市としてオスマン帝国時代には栄えていました。
スレイマンもヨーロッパに何度も遠征にいってたし、その度に拠点として通過する都市でもありましたよね。
ただ、国境付近の都市というだけあって、19世紀以降はブルガリアやギリシャ、トルコの間で何度も戦いが行われ、エディルネに壮大にそびえたっていた宮殿は、わずかな痕跡以外は全て破壊されてしまいました。
現在はセルミエ・モスクなどいくつものモスクがそびえたつ都市として、観光客が多く訪れます。
イスタンブールはどんな都市?
オスマン帝国外伝で首都のトプカプ宮殿のあるイスタンブールは1923年に首都がアンカラに移転されたあとも、アジアとヨーロッパの境の最大都市として、人口1400万人を擁し栄えています。
黒海とマルマラ海を結ぶポラボラス海峡の西部に位置し、貿易の観点からも歴史的に大いに活躍してきた都市。
現在も古代からローマ帝国時代にかけ、さらにはオスマン帝国時代に栄えた都市として、歴史的遺物も多く残る世界の観光主要都市として栄えています。
スレイマンとヒュッレムの墓はどこ?
イスタンブールの中には、スレイマンとヒュッレムの墓のあるスレイマニエ・モスクがあります。
スレイマニエ・モスクには、他にもヒュッレムの娘のミフリマーも葬られています。
第1時世界大戦中に火災にあうものの、復元され現在も観光地として親しまれています。
ヒュッレムがシーズン3で建てていた「ワクフ」は今もある?
ヒュッレムがシーズン3でしばしば口にしていたワクフは、今もあるの?と思って調べてみました。
ワクフとは、アラビア語で「寄付」という意味を持ち、実際ヒュッレムは皇后である間に、多くの建造物に携わり、その多くは現代でも残されています。
- 学校
- 病院
- 女性用浴場
などなど、ヒュッレムは庶民に多くの建造物を寄付しています。(なのに悪名が残るってw)
シーズン3の中でもヒュッレムが「自分が売られた女奴隷市場をなくし、そこに市民の役立つものを建てたい」と話していたワクフの「ハセキ・ヒュッレム・スルターン・ハンマーム」は、現在も旧女奴隷市場の跡地に残っています。
スレイマンがよく遠征に出かけるブダはどこ?
上のマップにも載せましたが、スレイマンやイブラヒムがちょいちょい遠征に出かけていたブダは、現在のハンガリーの首都の「ブダペスト」のことです。
ハンガリー王を誰にするか、あいつは腰抜けだからどうの、とよくイブラヒムとスレイマンが話していましたよね。
はっきり言うと…遠すぎんねん!!ってくらいの距離感で驚きました。
オスマン帝国がヨーロッパに何度も進軍し、他の国を脅かしていたけど、そりゃ、こんな遠くまで軍隊引き連れてきたら怖いわって話ですよ。
スレイマンもイブラヒムもほんとに優秀だったんですね。
というか、スレイマンがこんなに遠くに行ってたら、そりゃヒュッレムの敵たちは「今のうちに」とヒュッレムを暗殺しにかかりますよねw
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さいごに
あ~面白かった(笑)
完全に私の趣味だけの記事にお越しいただいてありがとうございました。
オスマン帝国外伝を見ながら、「ワクフ?」「マニサってどこ?」「ブルサってどこ?」「エディルネってどのくらい遠いの?」とちょいちょい気になっていた疑問を、自分なりに一気に解決してみました。
上のグーグルマップをみながら、改めてオスマン帝国外伝の世界観を楽しんでみてください。
また、トルコに旅行するときはぜひ、オスマン帝国外伝ゆかりの地を訪ねてみてくださいね。
私はブルサとヒュッレムのお墓に行きたいです♪